2009年03月31日

学校での評価

 学校での「通信簿」はどんなふうになればいいか。……▼
 中教審でのアジェンダの一つが、評価のありかた、です。新しい学習指導要領の下での教育プログラムが始まりますが、「生きる力」を育てるための評価システムは、どうしたらいいでしょうか。
 私は、算数や理科、国語といった「教科」の評価に関する割合と、生活力や思いやり、創意工夫の力などを評価する割合などとが同じような価値観で評価されることが大切だと思います。どんなに「生きる力」などの総合力を高める教育を目指しても、通信簿などの評価のところで、総合力を認めてくれなければ学校も生徒もあまり変化していくことができないかもしれません。
 中教審では、年内をめどに、しっかりと評価について議論するということなので、新しい視点のはいった、人を伸ばすための評価プログラムができることを楽しみにしています。もちろん、委員として、どんどん意見も言っていきます。

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この記事へのコメント
小学校に勤めています。思いやりなどの評価はとても悩みます。もちろん誰にでも優しく、誰から見ても思いやりのある子どもさんに対しては迷わずよい評価ができますが、思いやりがあっても行動には移しにくいシャイな子どもさんもいますし・・「私がこの子の思いやりのある姿をみつけられてないだけではないか」と悩むことも多く、結局ほとんどの子供によい評価をつけることになるのです。学習面は習熟度をみて客観的な評価ができますが、行動面に関しては3段階などで評価する方法をぜひ変えていただきたいと思っています。
Posted by tomato at 2009年04月02日 14:23
上の方のコメントに私も賛成で、思いやりや創意工夫の力の評価は、難しいとおもいます。
人によって見方が異なるし、客観的な数値では測れないから、です。

思いやりは、内面の問題なので、うまく表現できない子とか、先生の前ではぎくしゃくしてしまう子、色々だと思います。
子供時代に「思いやり」でいい評価が得られなかったら、とても落ち込むと思います。

子供は、通信簿で評価されるからといって、頑張るのでしょうか?

長男の学校では、クラスメート同士で友達の良かったことなどを伝えあうカードを時々もらってきます。その程度で良いのではないでしょうか。先生のその時々に応じての声掛けで十分ではないかと思いますが。先生の心のゆとりと温かい視点が大事だと思います。それは通信簿の評価に盛り込むことで得られるわけではないと思います。
Posted by maki at 2009年04月02日 09:51
いきる力と大人は、難しく考えますが。
実際の子供は、もっとタフで賢いです。
彼らの本来の能力をいかすことが大事でしょう。
それには、親や教師があまり口出しせず、学校などの集団の中で、自由と規律ある中で生活すれば、大抵の子供は、まともに育っていくと思います。
その中で、病気になったり、自信をなくしたりする一部の人に対してのケアを考えればよいのでは、ないでしょうか。
Posted by いで at 2009年04月01日 10:47
個人的には、評価は、勉強した人が良い評価、そうでない人が悪い評価。客観的、評価にした方がいいと思います。
今、学校教育が問題になっていますが。その一つが何もかもを学校に求める事だと思います。
学校では、基本的な事が学べれば十分でしょう。
勉強すれば、評価が上がる。親切にしていれば友達ができるなど。先生の評価などに主観が入りにくくする事も大事だと思います。
基本的なことに徹すれば、先生も余裕ができるので、30人学級など、本当に大事な事ができます。
Posted by いで at 2009年04月01日 10:43